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【転職者インタビュー】バックオフィス業務からロボット技術系スタートアップCEOへ|わたしがスタートアップを選んだ理由 #5

※本記事は、当団体が制作したWebサイトの掲載記事を再編集後、移設しており、肩書・内容は掲載当時のものとなります。

スタートアップキャリア総研では、大企業人材が経験を活かしてスタートアップで活躍するネクストキャリアを考えるきっかけを提供しています。

”バックオフィス業務”出身者にフォーカスを当てた本回は、ロボット技術系スタートアップを自ら創業されたE氏にお話を伺いました。

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NPO、プロボノ、社会貢献活動、さまざまな出会いが社会課題への関心を高めていく

―― 早速ですがEさんのキャリアについて教えてください。

E氏 米国で中高校時代を過ごし日本の大学を卒業後、2000年に新卒で大手総合商社に入社しました。スケールの大きな仕事をしたいと思っていたのがグローバルな仕事というイメージにつながり、商社を志望しました。勤務先では自社の基幹系ITシステムの刷新を主とするバックオフィス業務で、よく商社の仕事としてイメージされる営業や事業開発ではありませんでしたが、大きなPJTでやりがいはありました。

入社7年目の米国駐在時には現地のビジネススクールへも通学しました。その後帰国して6年ほどもとの部署で勤務後、37歳の時にロボット技術系のスタートアップを創業して現在に至ります。

仕事の合間には知人のスタートアップを手伝ったり、ゴミ拾い活動、NPO支援等の社会貢献活動をしたり、コミュニティを拡げることが好きだったのでいろんな活動をしていました。ゴミ拾いなどのボランティアネットワークを広げて、「世界最大二人三脚」「世界最大二人三脚レース」の2つのギネス記録に主催者として挑戦して、達成したこともあります。


―― NPOやプロボノの機会はどういうところで得たのでしょうか。

E氏 きっかけは米国駐在時、”マンハッタンをきれいにしよう”というゴミ拾いプロジェクトを現地の他の日本人仲間と立ち上げたことでした。コミュニケーションを楽しみながら、ゴミ拾いをして街をきれいにする「ゴミニュケーション」という活動でした。自分はもともと帰国子女で、両親の仕事の関係で小学 5年生から高校卒業までニューヨークに住んでいたので、駐在時に改めて旅行しようという感じもなく、どうせなら思い出に残るような活動をしてみたいな、と思ったんです。

日本人がマンハッタンのど真ん中を綺麗にしている、という風景が面白く映ったのか、現地メディアに多く取り上げてもらい、活動を重ねるたびに仲間が増えていったんです。ゴミ拾いってすごく純粋な活動で、街は綺麗になるし仲間も増えるし自分の心も掃除ができる、そんなゴミ拾い活動から沢山のことを学んで次第に社会課題への関心が高まり、日本に帰国後も同じような活動を続けていました。そうして普段出会えない人と出会えるなかで、さらに活動が広がっていったという感じです。

ゴミ拾い活動の延長線上で、社会貢献活動をしている団体を応援する会を仲間と立ち上げ、自分は代表になりました。NPO団体や起業家がテーマについてプレゼンを行い、参加者は勉強して活動を応援する会です。自分も主催する傍らで色んな社会貢献の形を学び、共感し、一緒に議論したりお手伝したり。そこには”何か”したい、という気持ちを持った人や既に活動を始めている人が集まっていたので、じゃあ自分も何かやってやるぞ、仕掛けていこうという気持ちになれましたね。他業種の人との交流を深めていくうちに、世界は広いなって思いました。


―― 通常の業務と並行してNPOやプロボノに取り組むのは大変ではなかったでしょうか。

E氏 勤務先は副業が禁止で兼業や副業というわけにいかず、NPOやプロボノで活動することになりましたが、仕事そのものは好きで、自分でもよく働くタイプだと思いますので、忙しくはありましたが、早く帰宅した日の夜や週末を活用していました。さすがに毎日は難しいので曜日を決めて、働くと決めた日は思いっきり残業をして本業の仕事を片付けていましたね。

また、会社内ではメンバーが変わらずいつも同じような話になりがちと感じていたので、できるだけ他のコミュニティの仲間や新しい人と出会う機会を作りたいと思っていました。当時から週末起業家の概念もありましたが、本業で働きながらでも、いろんなコミュニティを通じて違う業界の人たちを会って話すことで刺激を受けていましたね。


“縁の下の力持ち”では満たされない心の渇きと、社会に大きな貢献をしたいという思いから、起業の道へ

―― 起業はもともと考えていたのでしょうか。

E氏 昔から、「何かを自分で興したい」という思いを持っていました。商社での仕事も頑張っていましたが、社会貢献活動で関わる仲間には起業家マインドの人が多く、一緒にやりたいねとか、何かしたいねという話をしていたんです。ただ、ITというコーポレートサイドにいたので、商社にいながら新規事業を作れるわけもなく、自分でオリジナルなものをつくる、イノベーティブなことができなかった。そういう状況の中、会社の営業の前線に配属されている同期に現場で揉まれている話や、親しい友人がベンチャーを興したり、活躍している姿は刺激になりましたね。

在籍していたIT部門に対してあまり高い社内ポジションではなく、障害を起こさないことを求められる、どちらかというと縁の下の力持ち的な仕事で、特定の専門スキルが求められない、営業のように外に出ていく部隊でもないので、目立つ部署ではないと感じていました。そういう環境下で自分の競争心が補えなかったというか、渇いていたんです。外に出てみたいけど、副業はできない。それなら、いつかは自分で事業をやってみよう、誰かの指示で動くよりは自分でやりたいと思うようになっていましたね。


―― スタートアップ創業までの経緯を詳しく教えていただけますか。

E氏 ドラえもんみたいなロボットをつくりたいと夢見ていました。自分はロボットを作れるわけでもAIに詳しいわけでもなかったのですが、その領域に詳しい人と一緒に考え始めました。

具体的に考え始めた2013年当時、国産ロボットといえば産業用ロボットが有名で、民生用、特に家庭向けロボットはお掃除ロボットぐらいしかなかったと思います。ボランタリーで1年ぐらい活動したあたりで技術的にイケそうだというのが見えてきました。創業に踏み切った一番のターニングポイントは資金調達の目処がたったことです。資金調達するならば、もう片手間にボランティアでやっている場合じゃないと退職を決め、その後、資金を元にエンジニアを集めて事業を立ち上げました。結果論になりますが、会社では先輩方が順番に海外駐在となりいずれ自分の番がくる、ただ、家族の状況を考えるとあまり海外駐在を喜ぶタイミングではなく、国内に残る術を考えなければ、という思いもありました。会社・上司から行けと言われれば行くしかない、異動も簡単ではないカルチャーでしたから。

退職の時には、人事からは37歳で家族を持って辞めるのは極めて珍しいと言われました。家族や知人からも起業のリスクは聞いていましたし、給料も下がる前提。スタートアップとして事業を興すのは売上がそもそもなくて資本金があるだけですからね。それでも社会に大きな貢献をしたいという自分の思いが強かった。色々やってきたとはいえ、3.11の災害を目の当たりにした時、自分のやってきた社会貢献は本当に小さなものだと感じたんです。やるなら覚悟を決めて、一気にやらなきゃと思いました。でも辞める時は震えましたね。15年お世話になった会社にはたくさん成長機会を与えてもらい待遇も良かったので感謝しかなく、送別会では号泣でした。

―― 起業への不安はありませんでしたか。

E氏 資金調達ができればイケると思っていましたが、リスクを負うことへの抵抗はあまりありませんでした。ちょうどPepper(ペッパー)のようなロボットが話題になり、ロボット事業をする追い風となっていました。大企業からも出資をいただきましたが、最初の面談が常務へのピッチだったり、話を聞いてもらえる土壌があったのが大きかったですね。

ハードウェアもAIも分からない状態でしたが、楽観的に自分の得意とする人的なネットワークを攻め続けました。求められる技術や量産化の難易度など、むしろ知っていたら怖くて勝負できなかったと思います。事業はそのあと、いわゆる量産の過程で起こる死の谷を経験しましたけど、それも経験するまでよくわかっていなかった。知らない状態で走り続けたことが恐怖心を打ち消すことに繋がり、結果的に良かったんだと思います。


―― 順風満帆というわけでもなかったようですが、起業後の生活はどのようなものだったのでしょうか。

E氏 生活レベル的にはあまり変わりませんでしたね。もともと飲み食いにあまりお金を使わないタイプです。ただ、仕事はハードで、振り返ると苦しかった時期が多かったように思います。あらゆるストレスを正面に受け続けてきたような、サラリーマンのときは感じなかった感覚ですね。

それまでは組織のなかのひとりだったので、休んでも組織はまわるし、仕事と休みのメリハリもありました。今は夢にも仕事が出てきて頭から離れることがありません。仕事と趣味が一体化しているんですよね。サラリーマンのときと比べて日々の密度が高く、良い時は最高ですけど、マイナスがくるとえぐられる思いになります。


成長意欲や目標、人生の夢やビジョンは、苦しい局面を乗り越えるための原動力になる

―― ご自身の経験を踏まえて、スタートアップのキャリアに向いている人、向いていない人はどうお考えですか。

E氏 決まった中期計画のもとで上司や部下がチーム単位で動くのがサラリーマン。自分の役割や仕事のまわし方が決まってます。一方でスタートアップではある程度、自分の意思で仕事が自由にコントロールできる分、裁量も高くなるのでスキルも含め経験値が圧倒的に高くなると思います。

スタートアップに向いているのは夢や思いを持っている人。”思い”は、自分の成長意欲やチャレンジしたいこと、その先にある人生の夢やビジョンの原点だったり…そういう思いを持っていないと、特に苦しい局面に接した時、なんで自分がスタートアップにいるんだろう、ってなっちゃうと思います。会社の規模、ステージにもよりますが、高い裁量があることは言い換えれば、自分で制限を作らず、必要なことは泥臭いことでも何でもやれるかどうか。そこに“思い”が背景にあると動き方がぜんぜん違うんです。そういったものがないと、なかなか自分を突き動かせないときがあります。

会社には良いときも悪いときもありますよね。その波を真正面から受け止めるのがスタートアップなので、苦しいときこそ、自分の”思い”がないと上手く乗り越えられないシーンがくると思います。給料を下げてスタートアップに転職した人は、なおさらそうした思いは必要なんじゃないでしょうか。

転職先としてどのスタートアップを選ぶかは、本人のやりたい方向性やビジョンが一致していることが大事だと思います。特にシードやシリーズAラウンドのスタートアップに行くと給与は下がる傾向が高まりますから、会社のステージを把握しておくことも重要ですよね。一方でそうしたアーリーステージのスタートアップの場合、圧倒的な経験値を積めるわけですから、成長意欲があればあるほどその人は伸びると思いますので、どれだけ成長意欲を持てるかどうかが重要になってきますね。

私の場合は、米国でいつ死ぬかわからない経験をしたことや社会貢献活動などの原体験から、後悔しない生き方をしたいと思うようになりました。人生のタイムリミットがあるなら迷うことなく自分らしく生きたい、それが自分を突き動かす“思い”なのかなと思います。


―― 最後に、これからスタートアップのキャリアを考える方へ応援メッセージをお願いします。

E氏 勇気はいるけど、外に出てみれば意外とやれるものです。思っているほどそんなにリスクは高くないよ、と言いたいですね。商社に在籍していた当時は出戻りなんてできないと思っていましたが、確認したら最近は出戻りできますよ、とも言われたり。挑戦して失敗しても、このご時世いくらでも受け入れ先はあります。経歴より、経験がより評価される時代になっていると思います。


漠然と”グローバルな仕事がしたい”という思いから、NPO、プロボノ、社会貢献活動、さまざまな出会いを経て、”社会へ貢献したい”という強い思いへ変化し、会社を創業するまでに至った行動力が印象的でした。

スタートアップでは裁量を持って、自分の意思で仕事を自由にコントロールできる一方で、自分で制限を作らず、必要なことは泥臭いことでも何でもやれるかどうかが重要と話すDさん。転職を考える時には転職先と自身の方向性やビジョンが一致しているか、苦しい局面を乗り越えられるだけの夢や思いがあるかを見つめ直すことが必要なのかもしれません。

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